2017年07月12日

この世とあの世に別れても(1)

 ちょっと遅くなりましたが、七夕のお話です。6月には、亡き母の吟詠のお弟子さんに、映画「君のまなざし」の淡路島での上映会のご案内をした時の記事を書きました。
http://sansanteruyo.seesaa.net/article/451141695.html
 案内のお手紙が着いた頃に、ある老婦人にお電話したのですが、ちょうど白内障の手術の後で、目を酷使出来ないとか。その方は母の吟詠が大好きだったので、母を今でも慕ってくださり
「先生の詩吟は本当に素晴らしかった。そしてお葬式もあんな素晴らしいの見たことなかったわ。しかも星になって登録されているなんて・・どちらの空でした?」
というお話をされるのです。師範学校を出てから定年まで、淡路島で小学校の教師をされていた方。ですから、話をすぐに理解してくださり、冴えている〜といつも感心するのです。88歳になられても全くボケていないのは、今でも勉強意欲が旺盛なのと、淡路島の新鮮な空気やお魚、玉ねぎの賜物でしょうか。
 実は今回、初めて打ち明けてくださったお話があったのです。それは・・
「師範学校時代、女学生にイジメられていた時、かばってくれた男性の同級生がいたの。彼は出来たばかりの国立大学の一期生として更に進学して、その後教師に・・私は淡路島に戻ってきました。けれども何故か、七夕の日には、偶然出かけた先でその方に会うのね。何度も・・不思議でしょう?授業も評判が良くて、何度も新聞に取り上げられたのよ。退職後は退職金の大半(700万円)を養護学校に寄付して、生徒さんの詩の指導をしていたのだけど、その詩を有名な歌手の方が見出して歌ってくださったの。でも新聞記事とか詩集とか、どこかに失ってしまったの。」
と残念そうに言われたのです。なぜかその時私は
<その新聞記事を見つけよう!>
と決意し早速行動を開始。
 ネットでは生前のご住所と電話番号しか判りませんでした。電話をかけてみても「現在使われておりません」との応答。(※後で伺うとお子さんがおられなかったようです。)そこで、勤務されていた学校、養護学校に電話をして
「阪神大震災前、これこれこういう先生がそちらにいらっしゃらなかったでしょうか?」
と問い合わせるも、昔の資料は保存されていないとのこと。地元の新聞社にも電話したのですが、昔の記事を検索することは出来ないようでした。
 諦めていた時に一本の電話が・・養護学校の教頭先生からでした。
「おっしゃっていた詩は今、我が校の庭に石碑となってありました。」
とご連絡くださり、写真をメールで送ってくださったのです。お仕事の合間に一生懸命調べてくださったようで感謝の合掌を・・そこで、おばあちゃまに
「新聞記事は見つかりませんでしたが、指導されて出来た歌が石碑となっているようです。それからインターネットでは、以前の住所しか判りませんでしたが、現在は別の家が建っています。想い出のよすがになれば・・」
とGoogle Mapの写真を印刷してお手紙を送ったのでした。7月7日に着くように、郵便局に出したのが6日の夕方。帰り道ふと空を見ますとV字の雲が・・右側の雲が何だか人の顔に見えたので、何枚かスマホで撮影し、家に帰って拡大写真を見ますと・・何と!上には女性の横顔が、そして、その下に男性の横顔が!
笑い雲11.jpg笑い雲1.jpg
 これは、おばあちゃまと若き日の初恋の人のお顔では?と思って、写真立てを作ろうと思い立った私。二つの写真をまとめ、余白には男性が亡くなられる直前に送ってこられた辞世の言葉
「花は黙って咲き 花は黙って散る」
そして、
「七夕に二人仲良く笑い雲」
という即興の俳句を添えて、ワードで2L版の大きさに編集。堀川のお香と病気平癒祈願のお守りと一緒に、写真立てにはめ込みました。前回、お手紙が届いた時は
「こんな素晴らしい贈り物を・・伏して伏して感謝しております。」
感動のお電話をいただきました。今回も辞世の句に間違いないか、確認のお電話し、
「お二人のお顔の雲かも?という写真が撮れたので、送りますね。」
とお伝えすると、またまた過分なお言葉を頂戴し、とても喜んでくださったのです。今年は悲しい七夕になってしまいましたが、あの世からおばあちゃまの彦星さまが顔を覗かせてくださったようで、心がホッコリした出来事でした。
posted by サンサンてるよ at 15:23| 大阪 ☁| 古代信仰 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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