2017年07月28日

東京ドーム講演会前ですがご先祖様探訪(2)

東京ドーム.jpg
<web予約は29日18:00までです>
https://ryuho-okawa.org/info/2017/1556/
いよいよ来週の水曜日は、大川隆法 in 東京ドーム!なのに、なぜ今頃サンサンてるよのご先祖様の話をしているかと言うと、日本人のルーツのひとつを知ることで、
日本にも滅亡の危機はあり得る
ことを知っていただきたいから・・
 もうひとつは、
その隠された歴史は世界からの称賛に値し、日本を護ろうという気持ちを起こさせるから・・
 先日は、肉体上の祖父の苗字「福岡」は、徐福の長男に由来するという記事を書きました。
http://sansanteruyo.seesaa.net/article/452021599.html
 徐福は斉の国の人で秦に滅ぼされ、秦の始皇帝の援助で日本にやってきた・・というのが一般的な説ですが、実は更に西方の地域(古代イスラエル説、シュメール説など)の出身かも知れないのですね。
 中国人が日本の王になったと誤解されると、中国から臣下に見られますから、徐福の真実は正史では隠された可能性があります。だから「日本の神々が天下って、建国した」という脚色の歴史を創りだしたのかも知れません。
 けれども、現代では古代史の封印が解かれたかのように様々な研究が出てきました。失われた十氏族を求めて、イスラエルの方々が日本に調査に来たり、日本と古代イスラエルの共通点を発見し、日ユ同祖論の本を書く方も増えています。
 徐福のことを学ぶ以前から、私の第二の故郷は淡路島ですので、
・洲本市のある観光旅館を始め22ケ所に、古代イスラエルの遺跡が遺されている
・洲本市には、物部、由良、油谷・・という地名がある。
・南あわじ市の由良湊神社には「ねりこ祭り」というユダヤの風習のお祭りが残っていること
などは知っておりました。私の実父は南あわじ市生まれ(旧三原郡)。苗字は「真野」というのですが、これも失われた十氏族の中の「マナセ族」に由来するという説があるそうです。マナセは人名ですが、マナという旧約聖書に出てくる食べ物もあります。ユダがユラになったり、音の転訛はよくある話ですから・・
https://ameblo.jp/prconsultant701938830/entry-12163319508.html
 ユダヤ人の信仰というと、「ヤハウェへの信仰」と思いがちですが、実は「日月星の三光信仰」だったと最近、知りました。真田丸で有名になった大阪市天王寺区には「三光神社」というのがあるのですが、この総本社は仙台市の青麻神社(旧名:三光宮)と言って、アマテラス・ツクヨミ・アメノミナカヌシを日神・月神・星神として祀っておられます。
社伝によれば、852年、社家の遠祖・穂積保昌が山城国から当地に下向し、一族が尊崇していた日月星の三光の神を山峡の岩窟の中に祀ったのが始まり

 穂積氏は物部氏のひとつなので、物部神道は元々「三光信仰」であり、その中心は天御中主の星信仰だったようです。おそらくそれが古代日本の標準的な信仰で、後に大和朝廷の政策で太陽信仰中心に絞られたのかも知れません。
 実は、徐福も「星信仰」の人だったと、出雲と大和のあけぼの(P47)に記述がありました。
 ホアカリ(徐福)は道教の方士であったから、童男童女を夜に山頂に導き、仙人を尊ぶことを教え、道教の星神を拝ませた(出雲と大和のあけぼのP47)
 海や砂漠を渡ってきた民だからこそ、方角を知るための北極星(天御中主神)は信仰に欠かせないもの。徐福はインドに留学し仏教も学び、日本に「薬師如来像」を持ち来たらしたと伝えられています。紀元前3世紀のことですから、仏教公伝(6世紀半ば)よりはるか以前のことです。中国では道教や儒教も学び、ユダヤ教に留まらず、普遍的な信仰を持っていた方だったようです。
 そういう方が戦乱多き地域から逃れ、日本で理想の国造りを志した・・そして多くの技術者と共に、日本に渡来した。そこからの国造りは、先住民との融和を心がけ、けれども時に戦いもやむなしだったかも知れません。それも、日本を統一し、理想国家を建設したいという大望を抱いていたゆえのこと。
 そして各地で米作りや機織りを始め、衣食住の整備を教え、医学・林業・鉱業・建築・造船・・幅広い知識と卓越した技術で人が住める環境を広げていった・・今はスーパーやコンビニで食事は事足り、子どもたちはスマホに興じていますが、当時は親も子も汗水垂らして、米作りや公共事業に精を出したことでしょう。天地の神や祖先を敬い、そこには家族の葛藤など無かったことでしょう。古代の国造りの大変さを思う時、本当に頭が下がり感謝せずにはいられません。
<過去記事>
古代にスーパーヒーローを求めて(2)古代の国造りとは?
http://sansanteruyo.seesaa.net/article/388730962.html
 そして、日本史で学んだように、多くの血と汗と涙が流れた末に、ようやく今日の日本が誕生しました。異なる国の出身者たちが「日本国民」という意識で結ばれ、ある意味では理想に近づいた日本。けれども、一番大切な「信仰心」を失い、またもや浮草のごとく漂っています。
 太古に得ていた日本への尊敬は見る影もなく、何より、日本人自身が自国への誇りを失っている・・
 日本は「ノーブレスオブリージュ(高貴なる義務)」を果たすべく創られた国。その事実を忘れた時に、天変地異や他国からの侵略に見舞われてきた・・徐福渡来は2200年ほど前のことですが、3000年以上前、寒冷で住めなくなったインドの王が人々を引き連れて日本に移動し(ドラビタ族)、出雲の先住民族になったと言われています。15300年前には、ムー大陸沈没に伴って、日本へ逃れてきた方々もいた・・また近年、各地で海底遺跡が発見されていることからも、この日本近辺でさえ、海水の上昇で多くの国土が海に沈んだことが判っています。
 天変地異は太古にもたびたびあったし、今もまた活発化しています。世界各地の噴火や地震、異常気象・・これを単なる自然現象ではなく、人類への警告だと受け止めている人がどれほどいることでしょう。そんな時代だからこそ、この地球を創造した責任者が、「言葉として」警告を発するために、肉体を持って生まれられた・・このあり得ない時代に、今私たちは生きています。
 何度もリセットを繰り返した人類史の大河。その流れが危険な急流に差し掛かっているから、氾濫を食い止めるために、幸福の科学が創られた・・人類の栄枯盛衰を悲しみの眼差しで観続けてきた方だからこそ、地上に降りずにはいられなかったということです。
 単なる新興宗教のお楽しみ行事ではないのです!!それが「人類の選択」というタイトルに現れているのではないでしょうか。本当にその意味を深く深く読み取れるか・・それは信者一人ひとりへ与えられた公案であもり、「個々人の行動の選択」でもあるのですね。
posted by サンサンてるよ at 21:09| 大阪 ☁| 古代信仰 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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